夫がステージ4の前立腺がんだと診断された

わたし、28歳 オーストラリアに来て3年目

夫、42歳

結婚2年目

子どもなし

夫、前立腺がん ステージ4

 

なんだか箇条書きにすると夢のようだ。

夢であってほしいよ。

 

先月頭に診断されてから、

この1ヶ月が怒涛のように過ぎていった。

気づいたらもう11月になってた。早いな。

 

オーストラリアで初めて病院へ行って、

初めて聞く医療用語に出会って、

新しく出会う人たちがたくさんいた。

初めて抱いた感情もたくさんあった。

振り返るとなかなかに濃い期間だ。

 

この期間を「あーしんどかった。」で終わらせないために、

記録としてブログに残しておこうと思います。

 

それから、 自分の不安を取り除くために、

夫や周りの大切な人たちの感情を支えるために、

自分なりに色々工夫して、

なんとか今日までやってきた。

方法というものではないけど、自分のやり方をシェアしたい。

もし困っている誰かの参考になったら、とっても嬉しいです。

 

ちなみに、今、彼は普通に家で過ごしていて、 在宅で仕事もしています。

余命宣告のようなものも、一応されていません。

これから、担当腫瘍医と治療法について決めていく段階にいます。

 

わたしも夫も、とっても元気。

1ミリも悲観的になっていません。

よく食べ、よく笑い、よく寝て、

とてもポジティブに過ごしています。

 

 

詳しいことを書き始める前に、

ひとつ、お願いです。

 

みんな、検査に行け!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

男性も女性も年齢に限らず検査に行くんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

不安がなくなるということは、

とても価値があることなんだと思います。

 


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この間、乾燥大豆から豆乳を作りました。

豆乳、豆腐は買ったほうがコスパが良いことがわかりました。

おからが全然減りません。

コロナ禍の中で思うこと

前回の更新から1年3ヶ月も経っている。

オーストラリアも4年目に入った。早いなあ。

 

コロナの影響により、移民局のビザの対応はストップ中。

1年半〜2年かかる、と言われていたパートナービザの再レビューはまだまだ先になりそう。

 

2月からマーケティングを学ぶため学校に通っていたけど、

半年経って、それも結局やめてしまった。

 

コロナのせいで、教室で受けていた授業は、

1ヶ月もしないうちにオンライン授業へ切り替わった。

30名弱のクラスメイトの中、アジア人はわたししかいなくて、

自分の英語力のなさに自信をどんどん無くしていった。

 

そんな中でBlack Lives Matter運動が始まり、

世界中で起こっている差別問題を目の当たりにして、

すっかり精神が参ってしまった。

買い物などのために外に出ようにも、それが怖いと思うようになったり、

何もしていなくても急にぼろぼろと泣き出してしまうようになったりした。

 

メンタルカウンセリングに行きたかったけど、

ビザの却下と共に剥奪されたメディケアの再申請も、

コロナの影響で進行が止まってしまっていて、

わたしは今何の保険にも入っていない状態になっている。

 

コロナ禍が始まる前に体調を崩し、

GPへ行って診察してもらったときに、

メディケアが使えないため5分ほどの診察で$70の料金がかかった。

 

メンタルカウンセリングなんていくらするのか、考えるだけでも恐ろしい。

 

精神の不調はどんどんひどくなって、英語がわからなくなってしまった。

聞き取れない。相手の言葉が意味をもたず文字のまま頭に残る。

話せない。単語が出てこない。声が出ない。

たしか、6月ごろのことだったと思う。

 

特に学校の授業でのこの症状がひどかった。

先生もさぞ、まったく英語のできない生徒が紛れ込んでいる、と思った事だろう。

 

結局、先月その学校も辞めてしまった。

情けないという思いもあるけど、最善の選択をしたと思っている。

 

また、頑張れる時に頑張ろうと思う。

 

 

仕事もずっと見つけられていない。

 

そもそも求人も不安定だ。

旅行業界で働いていた友人は、先日リダンダンシーの通知を受けたと言っていた。

 

 

焦らず、焦らず、と自分に言い聞かせているけど、

焦りと、不安と、自責と、不甲斐なさと、孤独で、眠れない夜がある。

 

 

わたしにできることは、今のこの期間を、

後から無駄ではなかったと思えるようにすることだと思っている。

 

好きなことをできるだけ。

 

学びたいことをできるだけ。

 

新しいことをできるだけ。

 

ひとつひとつ、自分が好きだったものを思い出す作業をしている。

 

本を読むのが昔から苦手だったのだけど、

先月からKindle unlimitedに登録した。

今日までに17冊本を読んだ。

年間読書数5冊程度だったわたしには大きな進歩だ。

 

 

 

シドニーもすっかり春がやってきた。

まだまだ大変な時期は続くだろうけど、

できるだけ前向きに、できるだけハッピーでいようと思う。

ビザ却下された

先月末、1年半前に申請をしていた「パートナービザ」が却下されました。

 

永住権を得るのに最も簡単で最も安くて最も早いと言われているパートナー(結婚)ビザ。

 

 

 

却下されちゃった!!!!!!!!!

 

却下とかウケる。いや、さすがにウケない。

 

申請時に7,000ドルもとっておいて、

16ヶ月の間、原則国外に出れないビザで縛っておいて、

却下理由の書かれたA4一枚の紙ぺろっと貼り付けて

「Refusal Notification(却下の通知)」って・・・

 

ビザの申請を却下されたら、

通知を受け取った日から21日以内に申し立てをするか、

30日以内にオーストラリアから出国するかを選ばなければなりません。

 

30日以内に出国しろって・・・・容赦ないわあオーストラリア政府さん・・・

 

 

却下された理由は、

・銀行の共同口座に最近動きが無く、同居しているとは言えない(生活費はわたしが夫に現金で渡していた)

・異なる住所が記載された書類があるため、同居しているとは言えない(年末に引っ越した)

・共通の友人が見られず社会活動を共にしているとは言えない(やかましいわ)

・出会ってから結婚までの期間が短い(インターネットで出会って2週間後には同棲してました)

 

こんな感じでした。へへ。笑えない。

 

 

シドニーのあるニューサウスウェールズ州では、「結婚する」というと、

政府が認めたセレブラント、結婚執行人の前で誓い、証明書にサインをするのです。

 

昨年2月14日、その政府指定のセレブラントに

「Do you〜, till death do you part?(死が二人を分かつまで〜しますか?)」

という問いに「I do‼︎」と元気よく答えたというのに、

まさかその政府が二人を分かつなどと、誰が想像しただろうか。いや、しない。(反語)

 

 

政府を悪く言ってもしょうがないので、

移民ビザに強い弁護士さんにお話を聞いてきました。

 

・ビザ却下の申し立てには1,790ドルほどかかる

・申し立ての申請者が多すぎて、聴聞会まで1年半〜2年かかる

・申し立てすれば現在のビザの有効期限が自動的に延長され、オーストラリアの滞在ができる

・なのでとりあえず申し立てだけしとけば?

・申し立て内容が通れば、以前はこの費用の半分は返ってきたが、最近は全額政府が没収してしまう

・弁護士費用は10,000〜15,000ドル( ´ ▽ ` )

 

 

( ´ ▽ ` )

 

これからビザ申請する人・・・悪いことは言わない・・・

エージェントか弁護士さんを雇ってくださいね・・・・

却下されると精神的に来るし、なによりお金がかかりますよ。ええ。

 

毎年のように変更されるビザのルール。

ビザエージェントや弁護士さんでもついていくのが大変らしいです。

 

そんなこんなで先週Webから申し立てを完了しました。

AATに行ってApply onlineから申請できます。スーパー簡単です。

スーパー簡単に1,790ドルを支払わされます。

おそらくこのおかげであと1年はオーストラリアに居られるぞ。

 

オーストラリアに居続けることはなかなか大変だなあ( ´ ▽ ` )まあなるようになるさ

 

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今朝のシドニー。いいところだなあ。

オーストラリアも3年目

1年に数回しか更新しないブログ。

ブログを更新しなきゃ!というやる気だけしか持っていない。

新元号も発表されたことだし今年は更新頻度爆上げできるかな?

 

お久しぶりです、るーりーです。るりたんです。

(過去のブログはこちらから)

 

すっかり忘れていたのですが、先日2019年3月30日で

オーストラリア3年目に突入しました!

早〜い。

 

2年目だった1年は、しんどかった!!!!!!!!

正直に言ってしまう、

本っっ当にしんどかった!!!!

 

先日のイチローさんの現役引退の記者会見で、

「米国に来て外国人になった。外国人になったことで人の心を慮ったり、今までなかった自分が出てきた。これは本を読んだり情報を得ることはできても、体験しないとわからない。孤独を感じて苦しんだことは多々あったけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。」

ということを仰っていた。

 

10000回頷いた。

 

この1年間、ずっと感じていた。

この国で、外国人として生きていくことが、簡単ではないな〜ということ。

 

1年目、わたしは”旅行客”としてオーストラリアで楽しく生活していた。

毎日起こることが全て初めての経験で、何が起こっても本当に楽しかった。

たとえそれがネガティブなことだとしても、「いい経験をしたな〜。」と思っていた。

 

それが、結婚をして、ここで暮らしていくことが決まった2年目。

就活をしていて、「アジア人だから」という理由で選考に落ちたりした。

初めて「人種差別を受けた」と感じた。

オーストラリアで、海外で外国人として生きるということは

こういうことが普通に起こるのだということを、この時初めて理解した。

もう「いい経験をしたな」とは思えなくなっていた。

 

まるでこの国で暮らしていくことを拒否されているのではないかと思うようになった時もあって、外に出れない時期があった。
自分の英語が通じなかった時の相手の「はあ?」というリアクションが何よりも怖かった。
 
海外で生活するって、キラキラなんて全然していなくて、つらくて、孤独で、大変だと感じた一年だった。
 
 
それでも、持ち前の人に恵まれる幸運を発揮して、
この一年もいろんな人に支えられ、助けてもらって
今もこうしてシドニーで暮らすことができている。
 
「つらい」と愚痴を言える友達もできた。
オーストラリアに来るきっかけのひとつだった憧れの会社と働くこともできた。
クリスマスを家族で過ごすことも叶った。
ネイルスクールに通うようになったり、英語以外の言語を勉強してみたり、
プログラミングの勉強をしてみたり、新しいことに挑戦もできた。
ローカルの会社に就職することができた。
 
2年目の終盤はいいことがぼんぼこ起きた!!!
やっぱりわたしは運がスーパー良い。
 
この3年目も、色んな人と出会って、
愚痴を聞いてもらったり、励ましてもらったり、元気をもらったり、
人に助けてもらいながら暮らしていくんだろうな。
本当に、本当に、ありがたい。
 
 
そんなわけで、みなさまのおかげで元気にやっています。

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この写真の一番左のカモメにクロワッサン取られました。

ling fishの昆布締め

こっちに住んでいると、
「あ〜〜〜〜〜〜〜お刺身が食べた〜〜〜〜〜い!!
生の魚が食べた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!」

という欲求が不定期に襲ってきます。

と、いうわけで、お魚屋さんに行きましたら、
ling fishがお安く、しかも『fresh』の表記。

ling fishはこちらでよく見かける白身のお魚。

「これ、お刺身で食べれる?」ときいたところ、
食べれるよ〜とのことだったので、
ずっと試してみたかった昆布締めを作ってみました。
やったー!サーモン以外のお刺身が食べれるー! 


乾燥昆布をお水で濡らして柔らかくして、
お酒を塗って、お塩を少し振って、お魚の切り身を挟むだけ!

一晩寝かせたら出来上がりです。

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出来上がりがこちら。

食べてみた感想
「あ、この食感は海老だ。むきえび。」

食感がまさしく海老。
ling fishの身が締まって昆布の香りがいい感じです。

美味しい!
が、あまり食指が進まず。。。

というのもling fish自体にあまり旨味がないのか、
その上、身自体がそもそもかなり歯ごたえがあるため
だんだんと、「昆布エキスが染み込んだ海老のような食感の何か」
食べているような感覚になります。


ここでひとつ疑問が。
「というかling fishってなんだ?」

調べてみたところ、たらの仲間だそうです。
見た目はちょっと・・・きもい・・・

生で食べるのは向いていないみたいです。


結局、残ったものは酒蒸しにして食べたのですが、
身がふっくらしてとても美味しかったです(^o^)

ling fishはぜひ火を通してお召し上がりください。

365

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2018年3月30日にオーストラリアに来て、今日で365日目。

 

1年経ちました。

 

初めて来た日、

なんて空が綺麗な国なんでしょう〜

と思ったことを覚えています。

 

 

1年で必ず帰ると言った日本へ帰らず、

こうしてまだシドニーにいます。

 

英語は来た時と比べて随分不自由しなくなりました。

が、油断すると聞き取れないこともまだまだ多い。

 

アラサーと言われる歳になって、

自分の人生を振り返ってみても、

やっぱりこの1年は大きな変化のあった年のひとつでした。

 

「何かをやってみて、自分に向いていないとわかることが、何よりの財産」

わたしが浪人生だった時、予備校の古文の先生が言っていた言葉。

この一年は特にこの言葉を大切に過ごしてきました。

 

 

4月から語学学校に通うものの2ヶ月では英語が話せるようにならず、

ホストファミリーの英語も最後まで「??」の状態。

 

6月にシドニーへ職探しに来るも仕事が見つからず、

生きていくためのお金を稼ぐためだけに

日本焼肉レストランで働くも職場の環境がわたしにとっては最悪でわずか3日で辞め、

その後以前の上司が働いていた日本食レストランで時給$13という破格の給料で働き、「Teriyaki Chicken」と「Salmon Sushi」の発音ばかり向上したり。

 

やっとの思いで入った日系の不動産会社はボスとわたしの二人だけ。

ボスのアシスタントとして働いて、

たくさん褒めてもらって、

仕事もたくさん任せてもらえるようになって、

部下となる社員の面接や採用もやらせてもらうように。

 

パソコンの全く使えないボスの代わりに

広報関係を触るようになり、

いつしか不動産関係の仕事は携わらなくなり、

Webサイトの作成や、会社案内パンフレットの作成、書類作成、さらにシステムの構築と導入なんてことを担当するようになり、

 

またダンスを初めてみたり、

そんな会社も今年1月にクビになったり、

グラフィックデザインとプログラミングの学校に通い始めたり、

・・・・・

 

 

ざっとこんなことがありました。

 

こっちでどんなにつらいことがあっても、

「日本に戻って暮らしたい」とはまだ一度も思ったことがない。

「日本に戻って居酒屋さんに行って美味しいごはんとお酒飲みたいなあ〜〜〜」

とは毎日思っております。へへ。

 

 

 

明日からオーストラリア2年目。

 

わたしと同じようにワーキングホリデーでオーストラリアに来ようと思っている人に伝えたいこと、

働いていた時に感じたこと、

ここで暮らしていくのに必要なこと、

それ以外の色々なこと。

 

時差のあるこちらからの投稿だと、

アメーバは色々使いづらいこともあってので、

今度はHatena Blogさんにて。

 

またブログを始めます!

お時間ある時にのぞいてくださいヽ(^o^)

 

Happy Easter !